いや〜、ほれぼれしますね、iPad。
写真はもちろんペーパークラフト。こんなものを作らずにいられなくなる「童心」をくすぐる魅力、それがいつもappleにはある。
と、いう私もたぶん大多数の人がそうであったように、第一印象は「なんじゃこれ〜」というものでした。iPhoneがでかくなっただけ…というような。しかし、徐々に使ってるシーンを想像したり、プロモビデオを見るにつけ、これはいい、と思うようになりました。iPhoneがでかくなっただけ、というけれど、でかいiPhone、欲しいじゃん。と。
とくに手帳オタクで、6穴バイブル、A5サイズ、ミニ6穴、超整理手帳、とすべて使い倒してきた私としては、iPhoneこそ究極の手帳…と思っていたけれど、iPadのでかい画面で見るカレンダーやアドレスブックは、まるで窮屈なミニ6穴からA5サイズに移行したみたいな開放感があって、これだけでも使いたい!と思わずにはいられない。まあ実際「手帳」にするかどうかは別として(でかすぎるか…な)。
それはともかくとして、この「後になって」いい、と思う感じというのが、今回面白かったので、ちょっと書いておこう。
まず「後になってみれば」というのは、実はiPhoneの場合によく似ている。いや、iPhoneの場合はその登場からして強烈なインパクトで、第一印象がぜんぜん違うというのがある。しかし、よくよく思い出してみると、あの時、実は誰もiPhoneのようなものが出るとは予想していなかったのだ。ビデオiPodが出るとか、携帯電話とiPodが一緒になったものが出るとかいろいろと諸説があったのだ。で、iPhone初登場の時のジョブスのプレゼンを今でも時々みるのだけど、ジョブスはそういう噂をふまえて、今日は3つの製品を発表するというんだね。ビデオiPodと画期的携帯電話とインターネット端末。その3つが実はひとつの製品、iPhoneですというのがオチなんだけど、面白いのはこのプレゼン見てると、ビデオiPodと携帯のところで会場が「お〜っ」と盛り上がるんだけど、インターネット端末、というところでは「え…?」という感じでひいてしまう。それだけ噂にもならず、期待もされていなかった機能だったわけだ。ところがどっこい、今、私自身、iPhoneを何に使っているかといえば、そのインターネット端末というところ(ほとんど、のみ)だろう。
そんな風にそれが世の中に出る前は、まったく想像もされなかったのに、それが出てしまえば、それが当然そうあってしかるべきであり、まるで空気のように存在していて、あたかもず〜と以前からそれを使っていたかのように感じてしまう。いみじくも孫さんが「これなしで今までよく生きてきたな」と言ったように、「後になって」考えれば、そういうものがあるのは当然、と思えてしまう。こういうことを哲学的には「普遍性」という。
普遍性というのは、絶対的・客観的に、誰にでも当てはまるよう法則などではなく、あるひと時に多くの人を「なるほど」と説得してしまうような「パワー」のことなのだ。それは稀有な芸術作品などにこそ宿るものであって、単なる当り前な「普通」とはまったく異なる。(普遍性については、ひるますの臨場哲学「美って何なんだ〜」に詳しく書いたのでご参照ください。http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re68.html)
そんなわけで、まず我々は「iPhoneがこの世にもたらした普遍性」をすでに見てしまったところにいる、ということをまず思い出すべきだろう。つまりそこではiPadはきわめて「当り前」のものに見えてしまうのだ。しかしどんな「当り前」でも、それは実は誰かのアイデアであり発明なのである(オムレットp121)。それが持つ普遍性のパワーが、じわりじわりとボディブローのように我々に効いてきて、「iPadなんて…」という表層の意識を突き崩していく…、それが「後からだんだんよく思えてくる」ということの意味なんだろう。
ちなみに「後から…」という事でもう一つ付け加えておくと、今回もさまざまな噂があるなかで、タブレットは大きいPhoneなのか小さいMacなのかという議論があった。つまりMacOSなのかiPhoneOSなのか、ということでやきもきしたわけだが(iPhoneOS説はかなり後になって出てきたか)、これも後になって(iPadが発表されてから)考えてみれば、iPhoneOSでしかないよな〜という気がしてくる。というのも、基本、指タッチだからね。インティウスみたいな精密ポインティングデバイスなら、マウスなしでディスプレイを直接操作できそうだが、指でそれが出来るとは思えない。イラストレーターでパスを描く作業や、インデザインで細かい組版作業をするのをちょっと想像しただけで気持ちが悪くなる。MacBookProのトラックパッドでのDTP作業がすでにキツイものがあるし…。
と、考えてみるとAppleのやることにまだまだ間違いはなく、いつもながら、後から考えてみれば「きわめて当り前」に思えることを次々とやってくれる会社なのである。そしてこの「後からみれば極めて当り前」ということにこそ、最大の「創造性」があるのであって、あらためて敬意を払わざるをえない今日このごろなのだった。
2010年02月15日 01:49 by unicahier Tweet
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