iPhone、前回、前々回と書いてきたけど、ひとつ基本的な前提として、これ、ケータイ電話としては使ってません。ケータイとしては写真のドコモ機を使用してます。
まあ贅沢といえば贅沢なのだが、そのかわりHOTスポットを解約したり、通常ケータイとして使っているドコモの契約プランを見直したり、メールチェックのためにMacを起動しておく時間を少なくするなど、帳尻は少しずつ合わせているのであった。
しかしながら、一ヵ月以上使って思うのは、もはやケータイっていらないのではないか、ということ。実際、今使っているドコモをやめるとしたら、電波状況などからして不便になるというのは分かっているのだが(ユニの事務所はauがほぼ圏外で、ソフバンもかなり電波悪い…場所的には駅近くで圏外のはずはないのだが、たぶんビルの構造の問題か)、それでもこのドコモケータイの使い勝手の悪さには頭にくることが多い。
だいたい、iPhoneの文字入力がやりにくいなどという話はよくあるのだが、私にしてみたら、そもそもケータイのキーボードがまともに打てない。ケータイメールはほとんど予測変換に頼っているので、たとえば打合せが終わったら、「し」→「終了しました〜」などのように1文字くらいしか打ち込んだことがない。以前はもう少し軽快に入力していたような気もするが、現在のドコモ機(705iu)にしてからは、キーボードが小さい上に固いので、iPhoneよりもキーボードの打ち間違いが多くなってしまう状態だ。そんなことを考えると「ケータイの方が入力がし易い」などというのは、なんか昔のポケットベルの文字打ちのような特殊な技術に特化した人たちだけが言っているような気がしてならない。実際、ケータイ文字打ちがそんなに普通にやられているなら、もう少し「仕事上のやりとり」にケータイメールが活用されていていいはずだが、少なくとも私のまわりではそんな事はいっさいない。
ケータイの使い勝手の悪さは文字入力だけではなく、例のファンクションキーとその周辺ボタン、メニュー操作などのいわゆるOSまわりの問題というのもあるだろう。ファンクションキーの四隅に配置されたボタンがその都度違う機能をもっていて、それはディスプレイの下部に表示されるというやつ。これ、普通のユーザーはほとんど無意識に使いこなしていると思うが、これもなんか横柄というか、「分かれよ」みたいな高圧的な感じがして私としては非常に腹立たしい。とくに私の場合、わりと高齢の方に、仕事柄、パソコンの使用法などを教える機会があるのだが、そのとき、ついでにケータイの使い方も教えねばならないこともある。たとえば、ホームページに掲載する写真を撮りたいが、デジカメが使えないので、ケータイでとって、パソコンに取り込みたいとか。それで教えようと思うと、実はケータイでそもそも写真をとったことがない、という人もいるわけだ。家族から送られてくる写真を見ることまではできるが自分ではとれないという。
だいたい写真を撮って保存することくらいは出来るだろうが(それすら難しい「簡単機種」にもお目にかかったことがあるが)、それをメールに添付して送るとなると、そのファンクションキーまわりのややこしい迷路に入ってしまうことになるのだ。これをなんとか教えて、丁寧にマニュアルまで書いてあげても、ほとんどその機能が使われることがないということに愕然としてしまう。
カメラといえばiPhoneのカメラは200万画素で、しょぼいなどといわれているが、400万画素くらいのケータイカメラで撮ってどうしようというのか。そもそも印刷できるレベルではないし、サイズダウンしなければiモードで送ることもできない。中途半端に高解像度のデータがケータイにたまっていくだけ…で、なんか意味があるのかと思ったが、よくビックカメラなどでケータイのSDカードを差し込んでプリントしている人がいるが、それに使うのか? それにしてもそもそも普通は「SDカードにデータを保存する」ということができないだろう。やはり大いなる無意味だ。
私たちオタクの場合、ケータイのデータでもそれなりに活用していて、たとえばドコモのUSBケーブルを使って、Macに写真を取り込むなんてことは簡単にできる。MacならiPhoto(アイフォト)を立ち上げれば、自動的にデジカメやケータイの写真を取り込んでくれるし、WinならグーグルのPicasaを使えば同じ事ができる。ただ705iuの場合、Mac側から接続を解除するとSDのフォーマットが損傷して再フォーマットを促されるという問題があったのだが…まあMacですから(笑)ということで、そんなささいなことはしょっちゅうなのでたいした問題ではないのであった。そんなことより、私としては、そんなことも知らずにデータを死蔵させている人たちがいるということを思うと老婆心ながら、なんとかせねば、と思うのであった。
そんなことがケータイというものを象徴していると思うのだが、ようするに無意味な高機能とひとりよがりな操作体系、これだ。
iPhoneの世界から、ケータイのファンクションキー操作体系にふと戻ってみると、とっさに使い方を忘れているので、初心者がこれを使ったらど〜なるのか、ということが如実にシミュレートできてしまうのだ。それで毎日のようにこのク○ソケータイに腹を立てているのだが、昨日も「留守番電話があります」という知らせがきていて、「決定」を押していくと、なんと「留守番電話を聞きますか?」のところのデフォルトが「NO」なのだ。ガクッ、ここまできて聞くに決まってるだろ〜!、というようなことが多々あるのだ。たとえば写真をとった後の「保存しますか?」。そんなのYES、No押してる内に次のシャッターチャンス逃しちゃうっての。しかもNoを押せばすぐ次にいけるわけでなくて、なにやってるのか知らないが保存と同じくらい待たされる…。と、いうことを書き綴っていくとキリがないが、これって、オレたちMac使いがWinを使って頭に来た事を書いているのと、まったく同じ構図。
そんなアレコレの問題が、みんながiPhoneにすれば解決ってわけでもないのだが、それにしてもこのケータイというものの使い勝手の悪さはなんとかして欲しい。それがWinと同じ構図というのが、ポイントで、ようするにあまりに独占的な体制というものが、ここまでひとりよがりな操作体系というのを存続させてきたってことでしょうね〜。
というわけで、松っちゃんが昔やってたツーカーのCM「しゃべれりゃええやん」に実質的になっている私のケータイであった。あとは以前の「メール設定篇」に書いたように、早急に「SMS」の統合をやっていただきたいと思う次第である。
2008年08月24日 01:47 by unicahier Tweet
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